魔女式絶対探偵

「名探偵の条件……かい?」


 膝の上の私の質問に、お爺様は少し困ったような微笑みを向けた。


「そうさなぁ……」


 幾つもの難事件を解決に導いて来た、解けぬ謎などこの世には無いはずのお爺様が、何故かこの時だけは長く沈黙した。


「ワシも不思議なのさ、何故、ワシがこうやって名探偵などと呼ばれているのか……実際、ワシは和歌子ほど勉強は出来なかったからね、子どもの頃は良く不出来を叱られたものだ」


 その答えは私が欲した回答では無かった。お爺様は大きなしわがれた手で、不満げに見上げる私の頭を撫でた。


「分かった、分かった。お前にだけはワシの秘密を教えてやろう。ああ、本当だとも。使えるようになるかは、和歌子の頑張り次第だろうがね」


 子犬のように喜ぶ私の姿を、お爺様も目を細めて嬉しそうに眺めていた。そして、おじい様は首から下がっていた銀色の鎖をゆっくりと手繰り始めた。ほどなくして、鎖と同じ色の丸い金属の塊が茶のセーターの胸元から姿を現した。


「この時計を、お前にやろう」


 そう言って、おじい様は私の首に鎖をぶら下げた。幼い私には不釣り合いな、骨董品の古ぼけた懐中時計だった。手で握ってみると、カチカチと微かに、しかし確実に時を刻んでいる。


「和歌子、文字盤のその模様が何か分かるかい?」


 そう問われ、私は懐中時計の蓋を開けた。

 骨董品の価値など分からない当時の私ですら、その時計の美しさを瞬時に理解した。

 透明な硝子の文字盤にローマ数字で時刻が刻まれている。硝子の下には大小様々な無数の歯車が噛み合い、精緻に時の流れを秒針へ伝えていた。その針の根本から見たことの無い文様が刻まれている。

 私はしばらく考えてから、素直に首を振った。


「それは、昔、糸を紡ぐ為に使われた糸車という機械だ。ワシも実物は見たことは無いが、和歌子は知っているかもしれないね」


 糸車と言われた時点で、私は既にある童話を思い出していた。おとぎ話で、さるお姫様を一〇〇年の眠りに誘った魔女の呪いだ。絵本で見たその道具は、こんな形ではなかっただろうか。


「和歌子、魔女の呪いで、魔女の言葉通り、お姫様が糸車の針に刺されて眠ってしまった事は知っているね?」


 ふっと、今まで暖かかったお爺様の声が、急に温度を下げて私の心に冷たく流れ込んだ。


「どれだけ周囲が抗っても、魔女の呪いには敵わなかった。魔女の強い憎しみと怒りは、同じ魔女の力ですら消すことは出来なかった。ワシはね、和歌子、最近になって探偵も魔女と同じなんじゃないかと思い始めたよ。犯人にとって、探偵の推理の言葉は呪いだ。複雑な計画も、周到な準備も、ワシの前では何の意味も成さなかった。ワシの推理は、全て、何一つ漏らさず、現実になった」


 ──その時のお爺様の顔を、私は今でも忘れられない。

 私にいつも優しかったお爺様では無かった。鋭利で、冷酷な、おそらくは数知れぬ犯人へと向けられた、探偵の表情だった。


「和歌子、もしお前が何か事件に巻き込まれることがあったなら、まず犯人に呪いをかけるんだ。その時点では、誰か分らなくてもいい。私はお前を捕まえると。逃がさないと。お前が犯した罪は、過去も未来も、全て私の言葉通りになる、とね」


 そこまで言って、お爺様はふっと表情を和らげた。私は、お爺様の豹変した姿に、怯えていたのかもしれない。お爺様はあやす様にぽんぽんと私の頭を撫でた。


「まぁワシとしては、お前に危ない目にあって欲しくはないがなぁ。あんまりこんな話をすると、またお爺ちゃん、パパとママに怒られちゃうな」


 「ははは」と口髭を揺らし、お爺様が笑った。私も緊張を解いて、笑顔をお爺様に向けた。「またおいで」と背中を押され、帰宅を促された私はお爺様の膝から降りた。

 ドアノブに手をかけた私はもう一度振り返った。お爺様は、窓辺の安楽椅子に背中を預け、手を挙げて私を見送っていた。

 ──それが私が見た最後の──。




 目を開くと、天井に朝日が白く散っていた。


「…………久しぶりに、だなぁ……」


 お爺様の姿を見た。ここ最近はあの最後の光景を、夢で見ることも少なくなっていたのに。


『───……───……』


 テレビを付けたまま眠ってしまっていたらしい。私の感傷はテレビから垂れ流される雑音に埋もれていった。液晶の右上の白い数字は、〇六:三三。珍しく早く目が覚めた。これなら優雅に朝食を摂りながら高校へ行ける。

『──倒れている所を発見されました』


 登校の仕度をしていた私の手がピタリと止まる。顔を上げると、テレビの中で神妙な顔をしたレポーターが、白い校舎らしき建物の前でマイクを握っていた。


『首を絞められて──ゼミの学生が──大学側の発表は──』


 次々と情報が並べられていくが、ニュースの途中からでは全体像が掴みにくい。私は下着姿のまま、姿見の前で携帯を操作した。

 検索をする間でもなく、ニュースサイトのトップページに事件の概況は記載されていた。

 昨日午前、Y県S市の大学で、その大学に勤める教授が、自らの研究室で死亡しているのが発見された。死因は、首を絞められた絞殺と見られ、警察は殺人事件として捜査している──。

 報じられているあらましはこんな所だった。その大学のコミュニティサイトや、学生のSNSを漁ればまだ情報を漁れるかもしれないが……今は私には関係のない話だ。私はニュースサイトを閉じ、携帯を通学カバンに放り投げた。

 私が必要な事件ならば、呼ばれる。罪人に、探偵として呪いをかける為に。ただそれだけだ。

 ──姿見の中で、胸元の懐中時計が怪しく揺れていた……。

 

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