すけかの。



 ──彼女の定位置である、部室の窓際の座席からは、向かいの校舎の階段が良く見えた。
 部室棟に充てられている古ぼけた木造校舎とは対照的に、その正面に構える新校舎は目も眩む程に、嫌味なくらいに白い。
 明かり採りの為か、それとも現代的な装飾のつもりか、校舎の両端と中央にある階段の外壁は、全面がガラス張りである。反射する彼女の顔越しに、三階建の校舎の二つの踊り場を往来する生徒や教師の姿をつぶさに観察出来た。
 だからと言って、何か事件が起こるわけでもなく、この席に陣取ってから一ヶ月は経つが、彼女の興味を惹くような場面には一度もお目にかからなかった。
 だから彼女の目線は、もっぱら手元の文庫本に落ちている。
 いつもなら、昼休みは太陽の光で照明は事足りるのだが、生憎今日は朝からの雨で薄暗い。そういえば、今年は例年よりも早く、五月の末だというのに、梅雨入りしたらしかった。じめじめとした湿気を吸っているようで、ページをめくる手つきもどこか重い。
 彼女は部室の蛍光灯は点けず、机の上に直径二センチ、高さ二〇センチ程の蝋燭に火を灯して、ささやかな赤い揺らめきを読書の足しにしていた。彼女の眼鏡のレンズの中で、そして隣に置かれた水晶の髑髏の瞳の中でも、風も無いのに炎が躍っている──。
 最後の一文まで読み終えて、彼女は何の感慨も感動も得ずに、文庫本を閉じた。顔を上げ時計に視線を投げると、短針がそろそろと『1』に近づいている。潮時かと、蝋燭を消し、席を立ち上がったところで、ふと彼女は新校舎の階段に目を留めた。
 窓ガラスは絶えず雨に洗われ、視界はまだらに歪んでいる。それでも、階段を登る男子生徒と女子生徒の姿は見て取れた。
 男子は判別出来なかったが、女子生徒が誰なのかはすぐに分かった。艶やかに流れる長髪の上で、少し大きめのリボンが揺れている。胸を凛と張り、あれ程大げさに行儀良く階段を昇る女生徒は、この高校には一人しかいない。
 生徒会長の亀井莉緒だ。
 直接の面識は無く、全校集会で姿を見た事がある程度だが、遠目でも眉目秀麗で清楚な美人と分かる佇まいだった。文武に通じ、真面目で誠実な人柄で、生徒 のみならず教師からも信頼が随分と厚い、らしい。全て伝聞に過ぎないが、一言で言えばまぁ「完璧」ということなのだろう。
 その生徒会長の周りを、なにやら親しげに男子生徒は蝿のように飛び回っている。たかられているのを完全に無視して、亀井生徒会長は全く歩みを鈍らせない。
 それだけで、二枚のガラスを隔てた光景の内容は察する事が出来た。
 何とも、身の程知らずな男がいるものだ、と彼女は呆れながら、その様子を眺めた。見目麗しい容姿に惹かれる男子は掃いて捨てる程いるが、亀井莉緒という 人間は、凡人にはあまりに高嶺の花過ぎた。彼女のスペックに怖気づいて、釣り合わないと始めから尻込みしてしまう男子がほとんどである。
 だが、中には「我こそは」という猛者が数名現れる。彼らは、『青春』というたった二文字の膨大で輝かしいエネルギーに背中を押され、ルックスやらファッションやらインテリジェンスやフィジカルで武装して、「告白」という決闘に果敢に挑むのだ。
 そして、亀井莉緒はその涙ぐましい努力を「ごめんなさい」の一太刀でばっさりと斬り伏せる。その妖刀は数多の血に濡れ、積まれた屍は数知れず──との噂だ。
 かの男子生徒も、何とか亀井生徒会長に近づこうとしているが、どれだけ贔屓目に見ても脈がある気配は皆無だった。分厚い鉄板に水滴で穴を穿とうとしているくらいに、見ている此方まで悲しくなる哀れな姿だ。
 二つの姿は決して交わる事なく、一定距離を保ったまま上階へと消えて行った。そして待つまでもなく、明らかにしょげた様子で男子生徒が、濃い哀愁を漂わせながら階段を降りて来るのが見えた。これでまた、妖刀の犠牲者が一人。
 他人の醜態を盗み見てしまったようだが、男子生徒は素性の知れない赤の他人だ。自分と接点が生まれるとは思えないし、特に記憶するにも値しない些末な事件だ、と彼女は判断した。
 一部始終を見納めて、今度こそ部室から出ようと、彼女は階段から視線を外し、文庫本を鞄にしまい込んだ。引いていた椅子も元に戻す。水晶の髑髏には赤いビロードを被せた。
 ──この間、たったの五五秒。
 その一分間にも満たないわずかな時間、彼女が目を離した隙に、待ち構えていた事件は既に終っていた。
「え……?」
 顔を上げ、再び彼女が目にしたのは、一変した階段の光景だった。踊り場に誰か倒れている。先ほどの男子生徒なのだろう。だが、更にその上に女子生徒の制服も見える。二人は絡み合うように一つになって、ぐったりと力なく床に転がっていた。
 鼓動が早くなる。
 長編小説シリーズを、途中で一巻ほどすっ飛ばしたかのような、突然の展開に思わず窓辺へと駆け寄った。
 だがそこで急に、蛇口が壊れたかの勢いで雨が激しくなった。途端に水飛沫と霧霞に視界が白濁する。水滴で織られたカーテンに、倒れた二人の姿が覆われてしまう。
 見えない、ここからでは。現場に駆けつけるべきだろうか、いや、それよりも先に──。
 起きた事態を冷静に分析し、決断を下すと、彼女は足早に『超常能力研究部』室を後にした。

 

 

 

 

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